あれこれと

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東野圭吾さんの「歪笑小説」を読みました

自分で選んで買った本ではなく貰ったものだったので「東野圭吾さんだからミステリーなんだろうなぁ」という先入観を持って読み始めると、なんだか様子がおかしいのです。主人公らしき駆け出しの小説家はどこか間か抜けていて、とても殺人事件に発展しそうな雰囲気がありません。で、次の章に移るとまた別な若い小説家の話になり、これまた事件につながりそうにありません。100ページほど読んで、やっと「これはミステリーじゃなくて、コミカルな小説なんだ!」と気がつきました。

ただ、文章の言葉使いや表現、登場人物はコミカルですが、内容自体はなかなかシニカルな部分もあるなぁと思いました。

この小説は、一般の人には馴染みがない出版の世界が舞台です。多少、本が好きな人なら誰しも一度は小説を書いてみたいと思ったことがあると思いますが、「そんな君たちは知らないだろうけど、なかなか小説家というのは厳しいものなんだよ」ということが描かれています。賞にもいろいろあって、その賞を受賞すれば一躍売れっ子になる場合もあるけど、そういう賞は限られていて、大部分の賞は、それを受賞しても、それが売れっ子になることを保証するものではないし、ドラマ化されたからといって増刷に結びつくとは限らないし などなど。言われてみれば、私が知っているような作家は、売れている作家ばかりですから、なんとなく何かしらの賞を取れば、そういう作家の仲間入りが出来るのではないかと思ってしまいますが、現実はそんなに甘くはないということのようです。

そう言えば、高校生の国語の先生は、かなり長い時間をかけて小説を書いていて、それがどれほどの苦痛を伴う作業であるかということを授業中に切々と語っていたことを思い出しました。その先生は純文学を書いていたようですが、結局、どうなったのか。余談ですが、我々は、毎回、そういう話をいかにも興味があるように聞き出し、授業を中断させることに心血を注いでいました。その甲斐あって、1年間の授業で、森鴎外舞姫1冊も読み終えるところまで行きませんでした。あの頃は、先生も我々ものんびりしていた時代だったんだなぁ・・・。

話がそれましたが、この歪笑小生では、小説家側だけではなく、編集者側の苦労などもユーモラスに描かれています。小説家をいかにおだてて原稿を書いて貰うかということを大袈裟に書いていますが、大なり小なり、そういうことはあるんだろうなぁという気がしますね。

これまでに、東野圭吾さんの小説をそれほど沢山読んではいないのでよく知らなかったのですが、こういうコミカルな小説も書くんだなぁということを初めて知り、どことなく親しみを感じました(私の中では、ミステリー作家は、なんとなく気難しそうなイメージがあるので)。

因みに、後で調べてわかったのですが、○笑小説というのはシリーズ化されていて、この歪笑小説は、4作目のようです。

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