あれこれと

北海道に関するホームページを作ったけど、いまいち訪問者が増えないので、ブログを立ち上げて、こちらを経由してホームページを訪問してくれる人が増えるといいなぁと。なので、こちらではテーマもなく、北海道とも無関係なことも書いていきます。こちらのブログを見た方は、リンク先のホームページ「いつでも北海道に行きたい!」も見てみて下さいね!

久保俊治さんの「羆撃ち」を読みました

f:id:okka4:20191022203343j:plain

ブックオフで、たまたま、この本が目に入りました。きっと本の題名が、「熊撃ち」だったら「おっ!」とは思わなかったと思いますが、「羆(ひぐま)」というところに、目が自然に反応したのだと思います。

本州にいるツキノワグマは仮にバッタリ出会っても、なんとかなりそうな気がしますが(気がするだけですよ。実際はどうかわかりませんが)、北海道にいるヒグマは出会ったら最期だと思います。そんな(野生の)ヒグマを一度でいいから見てみたいなぁと、北海道に住んでいた時から思っていましたし、今でも北海道へ行くと、あえて林道に入ったりして探しますが(車でですが)、一度も遭遇したことはありません。というぐらい、ヒグマには惹かれます。

久保さんは父親の影響もあり、猟に憧れを抱き、大学を出ると同時に猟師として生きて行くことを決めます。猟が解禁されると山にこもり、何日にもわたって獲物を追います。1日では追いつけず、何日か続けてビバークすることもあります。冬の北海道は想像を絶する寒さですので、それだけでも過酷さが容易に想像できます。ヒグマを追うときには、単に足跡を追うだけではなく、獣の臭いや枝を踏む微かな音や動物と同じ低い視点で見てみることなど、五感をフルに使いながら追跡する描写は、そのリアルさから緊迫感が伝わってきます。また、獲物を撃ったとき、その生命が終わろうとうする様は、映像を見ているかのように伝わってきます。さらに、その獲物を解体するときには、命をいただくという厳かさだけではなく、勝利者としての征服感、一仕事終えたという安堵感や疲労感までが伝わってきます。小説家が、猟師から聞いて書いた小説であったなら、ここまで詳細な描写では描けなかったんだろうと思います。

内容は、久保さんの半生といった感じですが、そのうちの多くを狩猟犬として育てたフチの成長の過程と、その能力の高さ、そして、その最期について描かれています。それだけ、フチがかけがえのない存在であったんだろうという愛情が伝わり、最期の場面は感動しました。

小説としては、なかなか他に類を見ない内容だと思いますが、それだけに心に残る本になりそうな予感がします。

この本で描かれている時代から40年ほど経ち、ヒグマの生息数もだいぶ変わったでしょうし、人里に下りて来るヒグマも増えてきた(久保さんいわく、人間と同じで、動物も楽をすることを覚えてしまうそうです)とは言え、なかなかヒグマに出会うことは難しいんだなぁということがわかりました。

 

こちらのHPもご覧下さい⇒いつでも北海道に行きたい!