あれこれと

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増田俊也さんの「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」を読みました

会社の同僚に、この本をいただきました。かなりボリュームがあり、読み終わるのに、かなり時間がかかってしまい、そうこうしているうちに職場が変わってしまいました・・・。ということで、この場を借りて、お礼を。ありがとうございました!

さて、この本は、題名からして、かなり衝撃的ですよね。ということもあって、以前、新聞で書評を読んだことを覚えていて、読んでみたいなぁと思っていた本です。

たいていの方は、力道山のことは知っているでしょうけど、「木村政彦って誰?」という状態だと思います。私もそうです。作者の増田さんは、世間のそうした評価が許せなくて、この本を執筆されたようなところがあるようです。増田さんご自身も北大で柔道をされていたそうで、その世界ではずば抜けた実力者であった木村さんの評価が、あまりに低いことに憤りを感じていたのかもしれませんね。

木村政彦さんは、世界最強と言われた柔道家だそうです。そんな人が、なぜ今の日本人に認知されていないかというと、柔道からプロレスに転向した後に力道山と対戦し、そこで屈辱的な敗北を喫し、名声が地に堕ちたためとのこと。しかし、その対戦は、もともとシナリオがあり、木村さんは、そのシナリオ通りに試合を進めていたところ、力道山がそれを無視して、いきなり本気で殴りかかってきて不意を衝かれたために敗れたに違いなく、もし、本気で闘っていたら勝ったのは木村さんだということを証明したい、そして木村さんの汚名をそそぐために、この本を書いたというようなことを書かれています。

この本は、木村さんの強さが、どれほどのものだったかということを説明するために、木村さんの生い立ちや、想像を絶するほどの練習量、そして当時の柔道が、どれほど盛んでレベルが高かったか、また、柔道の歴史など、あらゆる面から説明をされています。はじめのうちは、「いつになったら力道山と対戦するんだ?」と、イライラしながら読んでいましたが、その前段に、いかに木村さんが強かったかを読者が理解するためには、それらの背景を理解する必要があるということがわかりました。全盛時の映像が残っていないので。

今の時代に木村さんがいたら、間違いなくオリンピックで金メダルをとるでしょうし、格闘家としてもトップをとるかもしれません。しかし、木村さんが全盛の時には戦争がありましたし、柔道がオリンピックで正式競技となったときには、40代後半で、しかも柔道界には戻れない状態でした。そして、総合格闘の名門であるグレイシー柔術の祖であるエリオ・グレイシーを木村さんがブラジリアン柔術ルールで破ったことが注目されるようになったのは、木村さんが亡くなったあとのことでした(この時の映像はYoutubeで見ることができます)。戦争、柔道の統廃合、プロ柔道の旗揚げと失敗、プロレスの旗揚げと、時代に翻弄され続けた木村さんの人生を知ると、たしかに、その汚名をそそぎたいという気持ちになるのはわかります。そして、この本の題名である「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」という疑問も当然のこととして理解できます。

ということで、あまりに情報量が多い本なので、内容をまとめきることが出来ませんが(笑)、格闘技に興味が無い私でも面白いと思った本でした。女性が面白いと思うかどうかはわかりませんが、男だったら、一度は読んで損は無い本です。木村政彦はスゴイ!

 

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