あれこれと

北海道に関するホームページを作ったけど、いまいち訪問者が増えないので、ブログを立ち上げて、こちらを経由してホームページを訪問してくれる人が増えるといいなぁと。なので、こちらではテーマもなく、北海道とも無関係なことも書いていきます。こちらのブログを見た方は、リンク先のホームページ「いつでも北海道に行きたい!」も見てみて下さいね!

柳田邦男さんの「事故調査」を読みました

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このブログに取り上げるのは3回目ですが、たぶん10回は読んでいると思います。私にとってはバイブルみたいな本です。
いつも職場で、「これ、推薦図書です!」と紹介するのですが、最近、紹介していなかったので、ブログで紹介をと思いまして。このブログを運悪く読んでしまった職場の方々は、この本を読むように!(笑)
題名からして、カタい感じがしますが、とてもカタい内容となっています。過去に起こった、大小さまざまな事故を例に、どうして、それが起こってしまったのかということを表面的ではなく深く掘り下げていくことが、いかに重要かということを説いています。
例えば、パイロットがミスをして事故が起こった場合、特に日本では、そのパイロットの責任として片付けてしまいがちですが、それだけで済ませてしまっては、また同様の事故は起こってしまいますよ!ミスが起こらないような構造にはできなかったのか、ミスしたとしても大事故に至ることを防ぐことはできなかったのか、というところまで考えてこそ、本当の事故調査なんじゃないですか!ということが書かれています。
この本を読んでいて思うのは、「本当にこんなことする?」ということが原因で事故に至っていることが多いこと。例えば、チェルノブイリ原発事故は、こっそりと、ある実験をしようと思い、その実験をするためには安全装置を解除しないとできないので、それを解除したがために、あのような大事故に至ってしまいました。
設計者からすると、「そんなことまで想定できないよ!」ということなのですが・・・。そして、仮に想定できることであっても、「コスト」も無視できない問題として立ちはだかり、そこが、また難しいところではあるのですが。
ただ、ものの仕様を考えたり、設計する仕事に携わっている者として、「そんなことまで?」という想像が、どれだけできるかということが重要だし、そういう力を特に若い人達には養っておいて貰いたいなぁということで、この本を読んでいただきたいのです。取り上げられている事故は、主に今から30~40年前のもので、「古すぎて参考にならないよ~」と、思うじゃないですか。残念ながら、本質的には同じ原因で事故は繰り返し起こってしまっています。
この本をはじめて読んでから20年近く経ちます。何度も読んでいると、その時々で気になるところが変化するというのも面白いところ。きっと時代の変化ということもあるでしょうし、自分自身が変化したということもあるのでしょうね。今回は、柳田さんと宇宙飛行士の毛利衛さんとの対談の中で、毛利さんが日本人の性質について語っている、以下の話が興味深かったです。
アメリカの場合ですと、たとえ犠牲者が出てもそれを乗り越えていこうという精神がありますね。ところが日本の有人宇宙開発を進めていく場合に、その過程でもしもロケットが爆発して人間が死ぬようなことがあると、それでもうプロジェクトが全部ストップしてしまうのではないかと思います。その日米の差というのは、国民性も含めて、私は随分あるような気がするんです。」
ここでは宇宙開発について語っていますが、あらゆるものに対して、日本人のこういう性質というのを感じます。しかも時代を経るごとに顕著になっているような。
この本の中で、JTSB(運輸安全委員会)の前身である航空・鉄道事故調査委員会のことが出てきますが、今では誰でも簡単に過去の事故についての報告書を見ることができます(こちら)。2/17にアップされた報告書「阪急電鉄株式会社 神戸線の列車脱線事故(令和2年11月23日発生)」は、無人の自動車が坂を下って線路に入ってしまい、そこに走ってきた電車と衝突し、電車が脱線したという事故で、「これは明らかに車が悪いでしょ!」と思うのですが、それでも、「公表」と書いてある報告書を読むと、自動車側、電車側の双方に対して、かなり詳細な調査を行っていることがわかります。結局、対策は、自動車が停車する際にはブレーキの扱いをしっかり、ギアは「P」に入れること(オートマの場合)の徹底と、注意喚起の看板やチラシ配りなどとなっています。おそらくコストをかければ、技術的な対策もできるのでしょうけど、その難しさを表している、いい例ですね。


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