あれこれと

北海道に関するホームページを作ったけど、いまいち訪問者が増えないので、ブログを立ち上げて、こちらを経由してホームページを訪問してくれる人が増えるといいなぁと。なので、こちらではテーマもなく、北海道とも無関係なことも書いていきます。こちらのブログを見た方は、リンク先のホームページ「いつでも北海道に行きたい!」も見てみて下さいね!

ゲルト・ミュラー

先週、亡くなったことがニュースで取り上げられていました。ゲルト・ミュラーは、1970年代に活躍した西ドイツのサッカー選手です。
職場のサッカー好きの後輩から
ゲルト・ミュラーって、ドンピシャ世代ですか?」
と訊かれましたが
「自分がサッカーをしていた頃には、もう引退していたので、ドンピシャ世代じゃないけど、でも憧れて背番号は13番をずっとつけていたなぁ」
と、遠くを見る目で語ったのでした(笑)
実際、ゴールシーンはテレビで見たことはありますが、試合を見たことはありません。ただ、長い間、ワールドカップの最多ゴール数(14ゴール)という記録を持っていて、「自分も、そんなストライカーになりたいなぁ」と思い、せめて同じ背番号をつけるぞ!という思いから、中学・高校と、ずっと13番をつけていました。
自分には5歳上の兄がいて、兄は小さい頃からサッカーをしていたので、家には、兄が買った昔のサッカー雑誌があり、そこに、ゲルト・ミュラーの特集があったのを覚えています。自分の特徴を訊かれて、ちょっとしたスペース(30cmって書いてあったかなぁ)があれば反転してシュートを打てるということが書いてあったように思います。たしかに、1974年のワールドカップ決勝で、オランダから奪った一点は、マイナス気味のクロスに対し、一度、敢えてゴールから遠い側にトラップして、そこから反転してシュートしていました(こちら)。

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その特集の見出しに、ゲルト・ミュラーがダイビング・ヘッドしている瞬間の写真が載っていたのですが、ヘディングというか「顔面にボールがあたってるじゃん!」という写真だったり(ネットで探しましたが見つかりませんでした・・・)、1970年のワールドカップで、頭の高さほどあるボールを敢えて足でシュートしたり

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決して、キレイな形ではなくても、「とにかく、どんな形でも1点は1点だから!」という、たぶん日本人でたとえると、岡崎選手のようなタイプのストライカーだったんじゃないかなぁと思います。
マラドーナが亡くなったことも寂しかったですが、ゲルト・ミュラーが亡くなったことも、一つの時代が終わったんだなぁという寂しさを感じます。


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