あれこれと

北海道に関するホームページを作ったけど、いまいち訪問者が増えないので、ブログを立ち上げて、こちらを経由してホームページを訪問してくれる人が増えるといいなぁと。なので、こちらではテーマもなく、北海道とも無関係なことも書いていきます。こちらのブログを見た方は、リンク先のホームページ「いつでも北海道に行きたい!」も見てみて下さいね!

今日はジョンレノンだけを聴く日!

今日はジョンレノンの命日なので、ジョンの曲だけを聴く日と、もう20年近く前から自分の中で決まっています。

ジョンレノンは私が小学生の頃に亡くなったので、よくは覚えていませんが、音楽の先生が、ジョンが亡くなった直後に、彼のことを話していたのは覚えています。その先生は当時としては型破りな人で、授業でオブラディオブラダを歌わせたりしていたので、きっとビートルズが好きだったのでしょう。

ビートルズを聴くようになったのは中学に入ってからで、初めはメロディアスなポールの曲に惹かれましたが、ジョンのNobody told meという曲がリリースされ、なんとなくその曲が好きになり、それからジョンがソロになってから発表した曲も聴くようになりました。

ビートルズが解散したのが1970年で、ジョンが亡くなったのが1980年。その間に、完全に音楽活動を休止してハウスハズバンドとして子育てしていた時期がありますので、ソロとして活動していた期間は短いのですが、その間にビートルズ時代にも勝る名曲を数多く残しています(よくジョンとポールが比較されますが、ソロになってからは、ジョンの勝ちと言う人も多いです。私もそう思います)。

ImagineWomanなどジョンの代表曲は、メロディも良いのですが、歌詞が特徴的かなぁと思います。きっと、中学生でも理解できる程度の言葉なのですが、そうした飾らない言葉を使うことで、逆にものごとの本質をついていたり、より詩的になっているように思います(そういう曲ばかりではありませんが)。

また、彼の生き方が好きな人も多いと思います。若い頃はツッパリで、ビートルズの頃のインタビューなどを見ても皮肉屋でとがっている部分が見られますが、オノヨーコさんと出会ってから、おそらくオノさんの影響が大きかったのだと思いますが、反戦運動を行い、愛と平和を歌い、そしてハウスハズバンドとなり、音楽活動を開始した矢先に銃弾に倒れるという彼の人生は、なんと言うか、しがらみなどに束縛されることなく次のステップへ進んで行く潔さがあると言うか、勇気があると言うか。

そんな彼が亡くなって今日で32年。いつの間にか、私は彼が亡くなった年齢を追い越してしまいました。自分がこの年齢になって、まだこれだけ動けることを考えると、もし彼が生きていたら、きっと素晴らしい曲をまだまだいっぱい残していただろうなぁ。